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ドイツ文学は奥が深い その1

▲15世紀ドイツの活版印刷の様子を示した絵画

ドイツは世界有数の書籍大国と言われています。毎年初版再版合わせて95,000点近い書籍が出版され、350種の日刊紙と、数千の雑誌。その勢いの背景には、ドイツ語へのこだわりや、社会に対する意識の高さがあるように思います。
ドイツ文学というと、ドイツだけでなく、オーストリアやスイスといったドイツ語圏も含みますが、まずはその歴史をたどってみましょう。

15世紀の半ば、神聖ローマ帝国時代のドイツの都市マインツの金属加工職人だったヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術を発明しました。それまでのヨーロッパの本というと、書き写しか木版印刷。組み替え可能な活版による活版印刷が誕生したことにより、本の大量生産が可能になり、「本を読む」ということが、ひとつの文化として急速に発展していったのです。

その追い風となったのが、マルティン・ルターの宗教改革運動でした。ルターは、自分の思想を啓蒙するには、民衆にわかりやすいドイツ語で伝えるべきだと考え、ラテン語の聖書を1522年から1534年にかけてドイツ語に翻訳して『新約聖書』として出版しました。これは、ドイツ出版界における16世紀最大の事件であると同時に、ドイツ語の発展にも大きな影響を与えています。

ドイツ文学が本格的に開花したのは、ボヘミアのプロテスタントの反乱をきっかけに1618年から神聖ローマ帝国を舞台に始まった『三十年戦争』後です。17世紀から18世紀前半にかけては、ゴットフリート・W・ライプニッツやエマヌエル・カントなどの哲学者による啓蒙主義で華やかな時代でしたが、18世紀後半になると理性のみを尊んだ啓蒙主義の狭苦しい考え方への反発から、人間の内なる欲望や感情も追求しようと、若者を中心に「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」と呼ばれる文芸運動が盛んになります。この時代を代表する作家が、ゲーテ、シラー、レンツです。


▲左からグーテンベルク、ルター、ライプニッツ

ゲーテは、代表作の『若きウェルテルの悩み』で婚約者がいる女性に恋をした主人公のウェルテルの葛藤や、自ら命を断つまでを見事に描いています。この作品は当時の文芸運動の頂点と言われ、現在でも世界中で多くの読者の心を捉えていますね。


▲「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」と呼ばれる文芸運動を描いた絵画

シラーは、戯曲『群盗』で、自由を求め、父親や秩序に反抗して盗賊団の頭になった若者の姿を描きました。この作品が舞台で上演されると、若者から熱烈に支持され、一大センセーションを巻き起こしたそうです。

レンツはゲーテを崇拝しており、『家庭教師』で知識階級の若者が抑圧された状況を描きました。これらの3人は、小説だけでなく、感情や情念を主題とした抒情詩でも優れた作品を残しています。


▲左からカント、ゲーテ、シラー

19世紀になると、個人の自由を求める『ロマン主義』の時代に入ります。ホフマンの『牡猫ムルの人生観』『砂男』などが有名ですが、この時期の作品として日本でよく知られているのは、ハインリヒ・ハイネとグリム兄弟でしょう。
ハイネの抒情詩集『歌の本』に納められた詩からは、たくさんの歌曲が生まれていますが、中でもライン川に突きだした岩、ローレライに佇む美しい乙女の伝説を題材にした『ローレライ』は、1838年にジルヒャーが作曲をして世界的に有名になりました。日本でも「なじかは知らねど、心侘びて」という近藤朔風の訳詞で、今でも合唱曲として歌い継がれています。音楽の授業で歌った方も多いのではないでしょうか。

グリム兄弟が編纂した『グリム童話集』は、みなさんもよくご存じでしょう。『赤ずきん』『ブレーメンの音楽隊』『ラプンツェル』『ヘンゼルとグレーテル』『狼と七匹の子山羊』『白雪姫』『シンデレラ』……などなど、お馴染みのお話ばかり。
『グリム童話集』が編纂された背景には、フランス革命と、それに続くナポレオンよるドイツ統治があります。1806年にフランスに占領されたドイツでは、急速にナショナリズムの動きが高まり、民衆が土着の文化に目を向けるようになりました。


▲フランクフルトから東へ約20km、生まれ故郷であるハーナウ市庁舎前に建つグリム兄弟の像

言語学者・文学者であったヤーコプとヴィルヘルムのグリム兄弟は、最初は詩人、ブレンターノからの協力依頼で、口伝えや文献などを参考に初期の49編を集めたのですが、その話が立ち消えになってしまったため、自分たちの手で『グリム童話集第1巻』として1812年のクリスマスに刊行。第1巻には89編の童話が納められています。続いて70篇を集めて1815年に第2巻が刊行されました。

これらはいずれも、当初は売れ行きが悪かったとか。その原因は、どの物語も、口承によけいな手を加えず、そのままシンプルに書いてあったため、童話にしてはそっけなく、内容や表現が子供向けでなかったことにありました。母親による子供の虐待や、拷問の描写などもあったそうです。二人が言語学者であったため、子供のためのメルヘンと言うより、口承文芸にこだわったせいかもしれません。そこで、初版以降、挿絵を入れたり何度も書き換えを行うことで、グリム兄弟の創作童話として、子供向けに変わってきているのです。「本当は恐ろしいグリム童話」が話題を呼んだのは、このへんからからきているのですね。


20世紀初頭になると、貧富の差など、世の中の厳しい現実に目を向けた作品が相次いで発表され、社会派文学が盛んになります。
トーマス・マンは『ブッテンブローク家の人々』で、ハンザ同盟都市リューベックの豪商の没落を描き、ヘルマン・ヘッセは自伝的小説『車輪の下』で、神学校に進学したエリート少年ハンスの愛と挫折を描きました。いずれも、これまでの伝統的な文学形式を引き継ぎつつ、社会への鋭い視点をもった作品として高く評価されています。

その後ナチズムの台頭により、ドイツでは言論が制約され、1500人近くの作家が外国に亡命。国内に残った作家も、不本意ながらナチスを礼参する作品の執筆を強要され、ナチスの支配に警鐘を鳴らす作品を書いた、『三文オペラ』で有名な劇作家ブレヒトが、ナチスによって著作の出版を禁止されるなど、文学作品不毛の時代が続きます。


▲左からトーマス・マン、ヘッセ、ブレヒト

しかし、戦後すぐに戦争によって失われた文学の発展を取り戻さなくてはならないという動きが始まります。1947年にスタートしたドイツの戦後派新進作家の集まり「47年グループ」が、戦後のドイツ語圏の文学活動を牽引していきました。

次回は、ドイツ文学の現状についてお話しましょう


レポート・文 前川 みやこ(コラムニスト・ライフスタイルアドバイザー) 写真提供:OFFICE SHIBA Inc.

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